わたしとeyeちゃんのはじまりからいま

わたしの絵を購入してくれたお友達から
わたしとeyeちゃんのはじまりについての質問を受けて、ふと過去を遡った。
せっかくなので言葉にしてみる。

目というモチーフが”可愛い” “魅力的”とおもいはじめたのは高校に入学してから。

スケッチブックには無意識でたくさん描いていたし、
紙で立方体をつくる課題などでもすべての面に紙でつくった目を接着していたり、
淡いブルーの実習着の背中にでかでかとアクリルガッシュで目玉をペイントして着たりしていたけれど
命が宿ったことを実感したのは広告の課題で赤い薔薇に緑色の華奢な身体のeyeちゃんを描いたとき。

このとき確かにばちっとeyeちゃんの目が見開いた。

以来、お花とeyeちゃんの組み合わせで身体があるものをよく描いたり、
紙粘土で宝石とeyeちゃんの組み合わせのフィギュア?的なものを作ったりしてた。

最近はキャンバスに目を描いてしまうとそこから発するエネルギーを描くことに筆が動いてお花も身体もこまこましたものが描けなくなってきて
eyeちゃんは”目”そのものに戻ったけど、
それでもその目はもうeyeちゃん以外のなにものでもなくなった。

数日前にママと電話していたらめずらしくパパも参加して話をしてくれた。

もう小さい頃から何回も聞かされてるんだけど、
赤ちゃんはうまれた瞬間目がちゃんとあいていないことが多いなか、
わたしはうまれた瞬間に目をぱっちり見開いてぎょろっとあたりを見渡して看護婦さんたちみんながビックリして笑っていたというエピソード。笑

パパは目がモチーフとしてどうこうは思わないんだけど、
そうやってうまれてきた万里江がそれを描くということが生命力と通じているように感じるからいいと思うんだ。

的なことを言ってくれてとてもうれしくなった。

今eyeちゃんはモチーフとして描いているというよりは
エネルギーの中心点として、愛すべきわたしの分身として存在してる。

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